日本のクリスチャンは、どのようにして伝統的な日本の宗教と向き合うべきでしょうか?
聖書に、その答えがあります。
このブログの記事では、聖書の神様が他の神についてなんと教えておられるのかをみていきます。まだ3の1を読まれていない場合は、こちらで読んでいただけます。
まずイザヤ書43章6節から19節まで読むことをお勧めします。手元に聖書がない場合はこちらで読むことができます。
神様は聖書の中で、他の神についてなんと言われるのでしょうか?
偽り
3の1では、聖書の神様は唯一の神様であることを見ました。そのため、聖書には次のようなことが書いてあります:
まことに、どの民の神々もみな偽りだ。
1歴代誌16:26
しかし主は天をお造りになった。
聖書は、天地の創造者である神様以外のは偽りだと教えています。
作ってはならない、拝んではならない
聖書の神様は、真実を愛する神様です。偽りを愛しません。そして、私たちが偽りのものを作ったり、拝んだりしてはならないとも命じられました:
あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。
出エジプト記 20:4−5
5. それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
いかなる形のものも作って拝んではならないと命じています。これは動物(さる、へび、きつね、魚、鳥)や人(先祖など)を含むではないでしょうか?
「ねたみの神」
先ほど読んだ出エジプト記20:5で「ねたみの神」という言葉が書いてありました。この言葉を理解するために、芸術家の授賞式の例えを見てみましょう。
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ある芸術家が賞を受け取るためにステージに登場しました。この芸術家は、素晴らしいライオンの絵を描いたので、この賞を受けるのにふさわしいと見なされました。その絵は、野獣のライオンの毛さえも一本一本細かく書いてあった素晴らしい芸術品でした。
この芸術家に賞を渡すために、審判たちもステージに登場しました。
ちょうどその時、ステージのわきである人がこう叫びました:「私の手にあるこの石がその絵を描きました!」
見ると、彼の手には、千円札ほどの長さの石がありました。その石には、目と口が彫ってありました。
芸術家がステージの中央に立っていたにも関わらず、観客はこう言いました「この石がライオンの絵を描いた!」こう言った観客たちは石の前に賞を置くように呼びかけました。
あなたが、ライオンの絵を描いた芸術家だったら、どのような気持ちになるでしょうか?
聖書の神様が人間な細密に描くどんな絵よりも、私たちの想像を超えた細密さと偉大さで人、鳥、星、山、海、を全て造られました。この素晴らしいわざのゆえに、神様は礼拝されるべきお方なのです。
この神様が本当の受賞者であるのはずです。なのに、話せない、聞こえない石が賞(人の礼拝)を受ければ、神様が怒らないはずはないでしょうか?
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忌み嫌われるもの
創造主である聖書の神様だけが私たちの礼拝を受けるのにふさわしいです。神様なねたみの神様ですから、他の神を忌み嫌われます:
あなたがたは彼らの神々の彫像を火で焼かなければならない。それにかぶせた銀や金を欲しがってはならない。また自分のものとしてはならない。あなたが罠に陥らないようにするためである。それは、あなたの神、主が忌み嫌われるものである。
申命記7:25
「職人の手のわざである、主が忌み嫌われる彫像や鋳像を造り、これをひそかに安置する者はのろわれる。」民はみな答えて、アーメンと言いなさい。
申命記27:15
偶像礼拝者はさばかれます
私たちの創造主である聖書の神様が偶像礼拝に対して抱いている気持ちを少し理解できたでしょうか?
聖書は、偶像礼拝を罪と呼んでいます:
9. あなたがたは知らないのですか。正しくない者は神の国を相続できません。思い違いをしてはいけません。淫らな行いをする者、偶像を拝む者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、
1 コリント6:9−10
10. 盗む者、貪欲な者、酒におぼれる者、そしる者、奪い取る者はみな、神の国を相続することができません。
しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」
ヨハネの黙示録21:8
神様の恵み
神様は、聖書の中で全ての罪をさばくと教えています。一度も他の神に祈ったり、手を合わせたりしたことがない人などいるでしょうか?
しかし、私たちが石や木でできているものを拝んでいたとき、神様は自分のひとり子をこの世に遣わされました。それは、私たちが受けるべき罪(偶像礼拝など)の刑罰を代わりに受けるためでした。
聖書はこう言います:
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
ガラテヤ人への手紙1:3−4
キリストは、今の悪の時代から私たちを救い出すために、私たちの罪のためにご自分を与えてくださいました。私たちの父である神のみこころにしたがったのです。
イエス・キリストは、一度も罪を犯さずにこの地上で歩まれました。そして、私たちの罪のために十字架にかかり、死に、三日目に生き返りました。
このことをしてくださったのは、誰でも神様の恐ろしいさばきを逃れて、永遠の命をえるためでした:
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである
ヨハネ3:16
まだ自分の罪を悔い改めて、イエス様を自分の救い主として受け入れてなければ、今日あなたはそのことをすることができます。暦上最大の芸術家と言える創造主に心を向けませんか?
すでにイエス様を信じているあなたは、神様が他の神に抱いている考えが分かっていただけたでしょう。
3の3で、具体的にどのようにしてクリスチャンが日本の伝統的な宗教と向き合って行くべきなのかを見ていきます。