日本のクリスチャンは、どのようにして伝統的な日本の宗教と向き合うべきでしょうか?
聖書に、その答えがあります。
前回は、聖書の神様(3の1)と聖書が他の神について教えていること(3の2)を見ました。今回は、その土台の上に、クリスチャンが実行できる行動を見てみます。
聖書が書かれた時代は今の日本と似てるところがあります。日本にあるやおよろずの神のような、たくさんの神がありました。
イスラエルの周辺の国が拝んでいた神から、ローマ帝国の神まで、多くの神と呼ばれているものがありました。そう言う時代に聖書は書かれました。そのため、聖書の言葉は、現代の日本にも適用できる言葉があります。
日本の伝統的な宗教と向き合うことは、日本だけの問題ではありません。歴史上、偽りの神を拒みながらクリスチャンは生活してきました。次の聖書の言葉が慰めになるでしょう:
あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
コリント人への手紙 第一 10:13
行動の根拠は福音
この学びを進めていく上で、覚えていただきたいことがあります。偶像礼拝と偶像礼拝者は別であるということです。
この二つを分けないと、他の神に使えている人に対して攻撃的になってしまう恐れがあります。それに対して、聖書の神様は別のことを私たちに教えます。
神様は偶像礼拝が大嫌いでも、他の神を拝む人は愛されています。
聖書はこう言います:
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
ローマ人への手紙5:8
私たちがまだ罪人であった時に(他の神を拝んでいた時になど)、聖書の神様は私たちを愛されました。
神様は、全ての人を愛しています。そして、だれも罪のためにさばかれて、永遠の苦しみの場所に行かなくても良いように、イエス・キリストをこの世に遣わされました。
イエス様ご自身が私たちのために十字架にかかられました。そして死に、三日後に生き帰られました。このことによって、神様は私たちに愛を示されました:
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3:16
まだ罪人だった時に、私たちは神様に愛されました。同じように、まだイエス様を信じていない人を愛すべきです。友達や家族が他の神に祈ったり、お供え物をする行為に賛成できません。しかし、その友達や家族に対して愛の行動を示してましょう。
最終的には、友達や家族もイエス・キリストにある罪の許し、心の平安、そして新しい命を実感していただきたいです。聖書の教えに従い、彼らをイエス様に導けるようにしましょう!
年末年始やお盆の季節になると、日本の伝統的な宗教と向き合う場が増えます。クリスチャンは、どうしたら良いでしょうか?
聖書に書いてある答えを見ていきましょう。
でもその前に、次の聖句を心に留めるといいかもしれません:
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。
ローマ人への手紙12:2
クリスチャンであることを言う
主に贖われた者は そう言え。
詩篇107篇2節
主は彼らを敵の手から贖い
贖いとは、罪の許しのことです(コロサイ1:14)。家族や友達に、自分がクリスチャンであることを隠していますか?よくないことです。
日本の伝統的な宗教と向き合っていく上で発生する問題のいくつかは、あらかじめ自分がクリスチャンであることを言えば防げるではないでしょうか?
例:「後日お邪魔させていただく予定になっております。みなさんの元気な顔を見るのを楽しみにしています。だけあらかじめ伝えたいことがあって連絡を入れています。私はクリスチャンになりましたので、他のものには手を合わせないことにしています。お会いする時に、私が見つけた希望についてお話したいと考えています。その時まで、ご理解のほどよろしくお願いします。」
このような話をする際、攻撃的な態度ではなく、その人に愛を示しつつ、他の神を拝むことはできないということ伝えましょう。
多くの問題は、他の神が拝まれている場に立ってから伝えることによって生まれるのではないでしょうか?はっきりと、自分がクリスチャンであることを伝えましょう。
悪の形から離れる
ある人は、「仏壇、神社、またはお寺で手を合わせても、その時はイエス様に祈っている」と言います。聖書はこのことについて、どう教えているのでしょうか?
あらゆる形の悪から離れなさい。
テサロニケ人への手紙 第一 5:22
3の2では、創造者である神様が他の神を拝んではならないということを学びました。神様は聖書の中で、偶像礼拝を悪や忌み嫌われるものと呼んでいます。
そこで、質問です。他の神が祀(まつ)ってある場所の前にたち、手を合わせることは、偶像礼拝の形になりますか?悪の形になりますか?
聖書は、悪の形から離れるように教えています。
お供え物について
聖書の中には、偶像に捧げられた食べ物についての教えもあります。主にコリント人への手紙第一の8章と10章にそのことが書いてあります。少し長くなってしまうので、別のページに投稿しました。手元に聖書がなければ、上のリンクをクリックして読むことができます。
仏壇や神棚に関連する供え物については、どうしたら良いでしょうか?三つケースがあります:
- 他のクリスチャンといる時
- 自分だけの時
- ノンクリスチャンといる時
この一つひとつを見てみましょう。
他のクリスチャンといる時
当時は、神々に捧げられた肉を再び市場で売ることがありました。8章は、これを食べても良いかという質問に答えています。
3の1で見たように、聖書は神様は唯一であると教えています。そして、他の神は偽りとも呼んでいます。このことは、1コリント8:1〜6に書かれています。
でも、全てのクリスチャンがこのことを知っているわけではありません。そのため、次のような言葉が書かれています:
しかし、すべての人にこの知識があるわけではありません。ある人たちは、今まで偶像になじんできたため、偶像に献げられた肉として食べて、その弱い良心が汚されてしまいます
コリント人への手紙 第一 8:7
キリストにあって、兄弟や姉妹と呼ばれている方が、聖書の教えにしっかり根付いて場合があります。その時に、偶像に捧げられたものをその人の前で食べると、その人のつまずきにないます。
捧げもの(供え物)を食べなくても、なんの損もないですが、食べたら、兄弟をつまづかせることがあります。そして聖書は、兄弟をつまづかせることは、キリストのに対しての罪だと教えています(1コリント8:12)
この教えを現代化して見ましょう。
12月に入ると、スーパーで鏡もちの販売が始まります。聖書によると、鏡もちを食べても、大丈夫です。
しかし、最近イエス様を信じた友達が一緒に買い物をしているとしましょう。スーパーに入る前に、この友達は、鏡もちのあらゆる悪について熱く語っていました。
もし、彼が見ている前で鏡もちを買えば、彼の良心は汚されます。そのため、その友達がいる時に、買わないようにしましょう。
その友達が聖書の教えを通して、イエス様が与える自由を学ぶように心がけるべきです。しかし、彼がもっと成長するまでは、彼の良心を汚してはいけません。
自分だけの時
コリント人への手紙第一の10章では、次の言葉が書いてあります。
25. 市場で売っている肉はどれでも、良心の問題を問うことをせずに食べなさい。
コリント人への手紙10:26−26
26. 地とそこに満ちているものは、主のものだからです。
先ほどのスーパーで売られている鏡もちのたとえに戻ります。自分だけだったら、聖書はそれを買って食べても大丈夫だと教えています。
しかし、まだイエス様を信じていないがいる場合はどうしたら良いでしょうか?
ノンクリスチャンといる時
27. あなたがたが、信仰のないだれかに招待されて、そこに行きたいと思うときには、自分の前に出される物はどれも、良心の問題を問うことをせずに食べなさい。
コリント人への手紙第一10:25−26
28. しかし、だれかがあなたがたに「これは偶像に献げた肉です」と言うなら、そう知らせてくれた人のため、また良心のために、食べてはいけません。
田中さんと言う方があなたを食事に誘うとしましょう。田中の自宅に到着し、とても豪華なもてなしをしてくれたとしましょう。聖書は、何も質問をせずに食事をいただくように教えています。
しかし食事のあとに、田中さんがあなたにみかんを渡すとしましょう。「これは仏壇からのやつなんだけど、美味しいから食べて」と言った場合、そのみかんを食べてはいけません。
「恐縮ですが、僕はクリスチャンなので、仏や他の神に捧げられたものは遠慮させていただいています。」
なぜ?
聖書は、この教えの理由を教えてくれます:
良心と言っているのは、あなた自身の良心ではなく、知らせてくれた人の良心です。私の自由が、どうしてほかの人の良心によってさばかれるでしょうか。
コリント人への手紙 第一 10:29、33
私も、人々が救われるために、自分の利益ではなく多くの人々の利益を求め、すべてのことですべての人を喜ばせようと努めているのです。
聖書は、教えてくれた田中さんのために食べてはならないと教えています。田中さんの良心のために、手をつけてはいけません。
最終的には、田中さんがイエス様を信じて救われることを祈りながら、接していくべきです。あなたが、丁寧に、他の神を否定することによって、田中さんに対しての大きな証となります。また、福音を伝えるきっかけにもなります。田中さんの救いのことも考えて行動するの一番ではないでしょうか?
イエス様を信じて救われた人たちは、唯一の神様に使えています。私たちの行動の根拠は福音で、模範は神の愛です。まだイエス様を信じていない人々が福音を聞いて救われるように、聖書の教えに立ち、前進していきましょう。
周りの人が全て他の神を拝んでいるようにも感じられる季節かもしれませんが、その中にあって、聖書の言葉を心に留めて実行していきましょう!